在京盛岡広域産業人会 2012被災地視察会





 盛岡までの交通費は自己負担   岩手県内のバス代は無料   1泊2食・宴会付き・昼食2回で1万2千円 
 お問い合わせや参加申込み→クリック   ご案内(PDF)   行程の詳細(PDF)   1日目   2日目 
 1日目盛岡駅出発   道の駅区界高原   道の駅やまびこ館   かわいキャンプ   田老津波の語り部ガイド 
たろう観光ホテル  宮古魚菜市場   宮古市役所   宮古エクステンションセンター   シーサイドハウス海幸園 
 2日目出発記念写真   道の駅やまだ   悲惨な大槌町   釜石サテライト   おおふなと夢商店街 
 おさかなセンター三陸   陸前高田市・植物工場も   道の駅みやもり   盛岡駅到着・解散  視察で感じたこと


 私たちのふるさと、盛岡広域8市町村:盛岡市、八幡平市、雫石町、葛巻町、岩手町、滝沢村、紫波町、矢巾町は、2009年11月11日在京盛岡広域産業人会を設立し、会員相互の親睦と郷土の産業振興に寄与することを目的に、現在首都圏を中心に約200人の会員が入会しています。盛岡広域の産業振興や企業誘致をより具体化するためには、まず現地をみてみよう、とのことから、在京盛岡広域産業人会では現地視察会を2010年に2回、2011年に1回行いました。
 7月17日に開催された総会で、今年度も現地視察会を実施することが決まりましたが、その日程と概要が決定しましたのでお知らせします。
【開催概要】
日程:平成24年11月10日(土)〜11日(日)
集合・解散:盛岡駅(盛岡駅までの新幹線等は各自手配願います)
費用(見込):宿泊費10,000円(お茶2本、謝礼等含む)、昼食代2,000円(@1,000×2回)、その他実費(現地での移動のバスは無料です)
テーマ:「東日本大震災からの復興を目指す沿岸市町村の現状を知り、応援しよう!」
主な視察先:岩手大学三陸復興推進本部釜石サテライト、宮古魚菜市場、津波の語り部による宮古市田老のガイド など
宿泊先:シーサイドハウス海幸園(宮古市白浜)

【諸注意とお願い事項】
  (1) 新幹線は個人にて手配いただきますようお願いいたします。
  (2) 現地の移動手段(貸切バス)、宿泊、昼食は事務局で手配いたします。
  (3) 貸切バス以外の経費については個人負担となります。
  (4) 宿泊、食事の手配の関係から、参加を取りやめる場合については早めにご連絡願います。


 昨年3月11日に発生した東日本大震災から1年半以上経過し、当初多くのボランティアが訪れた沿岸市町村は、報道等、話題に上ることも少なくなり、忘れられていくのではないか、という危機感を感じているとの声も聞かれます。

 今回の視察会は、そんな沿岸市町村を忘れることなく、現状を知り、そして応援することをテーマとして企画しました。


 会員の皆さま、また会員以外でもお知り合いの皆さまなど、日程を確保していただき、多くの方々の参加をお待ちしております!

 お問い合わせや参加申込みは最下段をご覧下さい → クリック

       2010年7月の役員現地視察会(北部4市町)の模様は    コチラをご覧下さい

       2010年10月の役員現地視察会(南部4町村)の模様は  コチラをご覧下さい

      
 2011年10月の会員現地視察会の模様は  コチラをご覧下さい

 今回は、会員対象に2012年11月10日(土)、11日(日)の2日間、盛岡→田老(宮古)→宮古(泊)→釜石→大船渡→陸前高田→宮守(遠野)→盛岡ツアーを行います。


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在京盛岡広域産業人会会員現地視察会開催内容 ***********

 ご案内は  コチラをご覧下さい

 行程の詳細は  コチラをご覧下さい


行程は、下の「岩手県公立病院Map」に記載しました。ご覧下さい

1日目は真っ直ぐ西から東へ向かい、2日目は陸中海岸沿いに南下し、陸前高田から北上するV字ルートです
皆さんご存知でしょうか?上図の青い「宮古」地区は東京都区部より広いのです
岩手県の面積は15,278ku、四国は18,299ku、よく四国並みと言われますが、四国は岩手県の1.2倍です

 11月10日(土) 1日目


東京駅発7:32 はやて・こまち15号〜9:59盛岡駅着


盛岡駅北側から西口バス乗り場に向かう連絡通路:さんさ小道

西口バス乗場(高速バスや観光地へのバス)

  10時10分盛岡駅西口バス乗り場集合、矢巾町のバスで10時30分出発
下図の26番あたりにバスが来ます


バスの社内で参加者の自己紹介、まずは役員や会員、その他参加者から

        

  道の駅・区界高原(宮古市)11時15分到着、休憩、ここで岩手町佐々木光司課長合流
区界高原は標高700m。宮古市と盛岡市の境にある広大な高原地帯で、県の自然環境保全地域にも指定された自然の宝庫です。一直線に走る国道106号からは、北に山頂を岩山で覆った高原のシンボル、兜明神岳(標高1,005m)が望め、その裾野にはシラカバ林と草原が広がります。
 また、休憩に便利な道の駅や、高原中腹には兜明神岳登山、高原散策の拠点となる区界高原ウォーキングセンターもあり、それらを起点に四季折々の自然と親しむことができます。兜明神岳に登ると、早池峰山(1,917m)が見えるそうです。

道の駅・区界

区界高原に到着した矢巾町のバス
11時25分 道の駅・区界高原出発

この間に今度は市町村の事務方の自己紹介

        

  11時55分 道の駅・やまびこ館到着、昼食〜13:00

「道の駅」やまびこ館は、一般国道4号、46号からアクセスされる重要幹線道路国道106号沿いの緑豊かな山々に囲まれたところにあります。ヤッホーと叫ぶと「こだま」が返ってくるロケーションにあり、地域農産物等活用型総合交流促進施設「やまびこ産直館」として親しまれていることから、平成11年4月、駅名を「道の駅」やまびこ館とし、「閉伊川の清い流れに抱かれるように」という願いから「閉伊の郷かわい」を愛称にしました。
●やまびこ産直館、●郷土食加工販売店舗ヤッホー館とともに、レストラン●もうもう亭があります
北上山地の最高峰早池峰山は標高1,917mと岩手県で2番目に高い山で、高山植物の宝庫、日本百名山のひとつであり、古くから山岳信仰のメッカとして多くの人々に親しまれていますが、ここからは見えません


道の駅・やまびこ館

やまびこ館のランチはおいしかった
『道の駅やまびこ館』は、盛岡から宮古湾に抜ける国道106号のちょうど中間点で、どちらからも車で約1時間の距離とあって、ドライバーの立ち寄りスポットになっています。

レストラン『もうもう亭』でのランチは左写真、郷土料理のひっつみ(すいとん)に、地場産の雑穀入りのごはん、四元豚のトンカツ、がっくら漬け、メンマなどの小鉢が付いた『ひっつみ定食』(1000円)でした。おすすめの一品というだけあって、美味しいだけでなく、ボリュームも満点でした。

大根のがっくら漬けというのは、ダイコンをガックラ、ガックラと包丁で割って漬けます。割り口がギザギザなので良く漬かります。お土産にもどうぞ(¥280)


やまびこ館のもうもう亭、紅葉がきれいでした

バス運転の矢巾町山本さん


昼食後、岩手町佐々木光司課長(写真↑)と山本博幸さん(その左)は業務あり岩手町へ帰りました

道の駅やまびこ館13時出発

        

  盛岡市かわいキャンプ(宮古市)13時17分到着・・・震災復興ボランティア拠点視察
「かわいキャンプ」は、3月11日に発生した東日本大震災で被災した沿岸被災地へボランティアに行かれる方を長期的に支援するため、盛岡市が宮古市川井地区に設置した施設です。寝泊りができるスペースを提供します(約100名)。沿岸被災地のボランティアセンターまでの送迎車両を運行します。
 沿岸地域へ行って活動されるボランティアの皆様の活動拠点施設としてご利用下さい(利用料:無料)。
 最近、ボランティアさんの人数が少なくなってきており、11月はガクッと少なくなる状況です。
マスコミの報道が少なくなったこともあり、被災地での活動が無くなったと思っている方もいらっしゃると思います。しかし、宅地の清掃・側溝の泥だし活動のニーズは未だにあり、また、これからの生活支援ということで、畑の整地や仮設住宅からの引越しの手伝いなどの活動が続いております。
かわいキャンプとしても、ブログやツイッターでボランティアさんの参加を呼びかけているほか、大学等にチラシを配布しPRをしておりますが、厳しい状況です。

盛岡市かわいキャンプでは盛岡市社会福祉協議会地域福祉課の工藤和徳課長とかわいキャンプ所長代理の泉舘浩己さんに案内していただきました。このキャンプを利用する方はほとんど県外者、関東4割、東北3割の順。2011年7月6日設置、2012年10月30日迄に11940人が宿泊し、13355人が活動しました。人数が違うのは日帰りの人がいるためです。ボランティアさんが減っていることへの危機感がヒシヒシと感じられました。被災地のニーズは減っていないのです


平成10年に閉校した旧宮古高校川井分校の建物を盛岡市が利用

盛岡市社会福祉協議会の工藤和徳課長に説明を頂きました

かわいキャンプ13時54分出発

        

宮古市街地に近づくと、千徳辺りから仮設住宅が目に入るようになりました。

  15時田老到着、第一防潮堤上で津波の語り部ガイドの説明(被災者による津波被害の伝承)を聞きました
語り部ガイドは宮古観光協会の元田久美子さんでした
第一防潮堤は堅牢で、それなりの役目を果たしたことが理解できました


語り部ガイド:元田久美子さん

第一防潮堤は堅牢で壊れていない
 宮古市田老町は過去数十回の津波被害を受けており、「津波太郎」の異名を持ちます。その中で1611(慶長16)年、1896(明治29)年、1933(昭和8)年の三陸大津波により全町壊滅という大被害を受け、1934(昭和9)年度から巨大な津波防潮堤の整備に着手。1978年には総延長2,433m、高さ10.0mの、いわゆる「田老万里の長城」が完成しました。しかし、2011年3月11日の東日本大震災による津波は、この巨大防潮堤を乗り越え、甚大な被害を出しました。
右写真は田老観光ホテル「水中カメラマンのデスクワークな日々」(2011年5月)より
6階建ての3階天井までメチャメチャ
 Cの字の田老湾に対し、逆Cの字の防潮堤が津波の力を分散し、チリ地震津波で効果を発揮、そこで更にCの字の防潮堤を追加してXの字の防潮堤としたため、津波がXの中心点で波高が高まり、一気に防潮堤を越えました。人災と言われる所以・・・ただ効果はありました

その後、たろう観光ホテルの6階で津波のビデオを見ました。凄いビデオでした
元田久美子さんの熱のこもった説明に、思わず目頭が熱くなりました


16時14分田老たろう観光ホテル出発

        


宮古と言えば浄土ヶ浜、しかし今回は時間が無くて寄れません

        

  宮古魚菜市場(宮古市)16時45分到着

日本有数の漁場である三陸沖から水揚げされる魚介類と、地元農家が愛情をこめて育てた野菜がずらりと並びます
 31店が軒を連ね、何でも揃う活気のある市場です。宮古市民の台所で、お土産選びにもってこいの場所です
 お魚は店員さんに質問しながら選ぶのがベスト、調理方法なども教えてくれます。鮮魚類は各商店で氷を詰めて梱包し発送をしてくれます
宮古市魚菜市場
震災後の状況の説明を兼ねて、協同組合宮古魚菜市場副理事長の平井昭吉さんにご挨拶をいただきました
震災後、全国から支援を頂いた事に深く感謝しているとの言葉が印象的でした
最近も次々と会津から来てくれるそうです 福島も被災地ですが・・・

 澤藤会長の叔父さん叔母さんが宮古魚菜市場の向かい、和見町に住んでいました
澤藤会長の従兄弟の佐々木博史さんが来て、懇談できました この人は船鍛冶で、仮設住まいです

買い物をして、17時30分宮古魚菜市場出発

        

  17時40分宮古市役所到着

山本正徳宮古市長が公務からなかなか帰って来なくて、ロビーで到着待ち


ロビーの吹き抜けの高いところに張られたボード、青い帯まで水が来た

市長到着後、4階の市長室とベランダから、津波当時の説明を受けました
宮古市は八幡平市や青森県黒石市、沖縄県多良間村と姉妹都市で、宮古島出身の砂川ご夫妻とは、宮古繋がりで盛り上がっていました
被災地の首長は休みも無く飛び回っていて、本当に大変そうです


この3名は高校同期(宮古市役所4階市長室で)
左より加藤盛岡市東京事務所長、山本宮古市長、藤尾紫波町課長

藤井岩手大学長と山本宮古市長

ちなみに岩手大学は三陸復興推進機構宮古エクステンションセンターを2012年10月1日設置し、プロジェクトマネージャーとして浜田 修氏を配置しました
岩手大学三陸復興推進機構 宮古エクステンションセンター
 〒027-8501 岩手県宮古市新川町2番1号 宮古市役所 宮古市産業振興部宮古市産業支援センター内
      電話 090-2886-8887
      E-mail:miyako@iwate-u.ac.jp

浜田 修氏と聞いて、記憶に残っている方はいらっしゃるでしょうか? → 参考


18時14分宮古市役所出発

        

バスはくねくねと右に左に揺られながら走ります 左手・対岸の灯りから左が海というのはわかりますが、真っ暗で何も見えません

  宮古湾をグルリと周り、18時39分 シーサイドハウス海幸園到着

雫石町の川崎俊博課長が待っていて、すぐ懇親会へ〜
宿泊
夕食は刺身盛り合わせ、イカ鍋、帆立貝焼き、蛇腹きゅうりとイカの酢味噌あえ、ほっき貝の酢の物、山盛りいくらなど、海の幸てんこ盛り、鮭汁、ご飯
各市町村差し入れのお酒やワインもたくさん 夕食後2次会も・・・

お食事処

大浴場




左の落宰さんと話しているのが川崎俊博課長、翌朝用事があって帰った


シーサイドハウス海幸園の新館2階への踊り場に宮古市の姉妹都市黒石市の花田さんから贈られたねぷたの絵が


 11月11日(日) 2日目

朝食は塩ます、ほうれん草のおひたし、ゼンマイの煮付け、生卵、納豆、海苔、ノリタマのふりかけ
11月11日は「鮭の日」です 魚偏に±が縦2つですから

出発前に全員で記念写真



8時28分 シーサイドハウス海幸園出発
宮古湾岸は津波の爪痕生々しく、復旧工事が手付かず状態で、コーンだけが置いてあります
途中津波で破壊された地区、瓦礫の山、少しの高低差で明暗が分かれたことが理解できる まさに明暗紙一重

        

  9時8分 道の駅やまだ(山田町)に到着、休憩

山田町を南北に縦断する国道45号は、風光明媚な路線として観光で訪れる皆さんはもとより、三陸から中央へ新鮮な魚介類を運ぶ重要な路線でもあります
「道の駅」やまだは、その国道45号沿いに位置し、施設は、林産物展示販売施設、トイレ施設、駐車場施設からなっています
特に、林産物展示販売施設は、山田町で生産された林産物をはじめ、農産物、水産物、商工物産、加工品等の産物を販売し、また、地域の観光やイベント、道路情報等を集約して紹介する施設です


道の駅やまだには「がんばろう岩手 がんばってます山田」の看板がある
ここで澤藤会長夫人の弟さんの知り合いの川石水産の方を探したら、商品を並べて帰った直後、残念


  9時18分 道の駅やまだ出発

山田町の悲惨さはよくわかりました 説明のしようがありませんし、説明したくもない感じです

        

大槌町の悲惨さは目を見張るばかりです
波板観光ホテルの被災状況から、海面から見て信じられない高さまで波が来たことが分かりました
加藤町長ほか大槌町役場の職員多数が亡くなった訳が分かりました
大槌病院は三階建て、水没したようです 入院していた人がいたら、逃げられなかったのでは?
そんな中、真新しい薬王堂が各地で目に付きます 店舗をあちこち新築、回りは何もないのに、凄い商売気
瓦礫の山が至る所に残り、復旧も復興も道程は遠い感じ
写真は載せません

(津波で大槌町職員の皆様が多数亡くなられました。ご冥福をお祈り申し上げます)


        

釜石の商店街が見えてきました 釜石は新日鐵の煙突から煙があがり、大きなビルがたくさん在って大きな街だと感じます
参加者のひとり阿部さんのお姉さんの写真館跡地が更地になっていました ご冥福をお祈り申し上げます
釜石はリニューアルした建物も多く、力強く復興へ向かっていることも一部感じられます
昭和20年8月9日は長崎に原子爆弾が落とされた日ですが、同じ日に釜石では艦砲射撃を受けました
7月14日にもあったのですが、この日はさらに激しく、製鐵所が壊滅的に破壊され、小佐野町などの社宅も攻撃されて、釜石の町はほとんど焼け野原となり、多くの犠牲者が出ました
その後、製鐵所は市民の復興への意欲から復旧が進み、3年後に操業が再開されました
釜石の復興が早いのは、こうした歴史的経緯もあって、何度も津波災害に襲われても、戦災に会っても、屈することなく、その都度市民が立ち上がり復興してきた歴史があるからでしょう

  10時7分 岩手大学三陸復興推進本部釜石サテライト(釜石市)到着


釜石サテライト 〒026-0031 釜石市鈴子町15番2号
                   釜石市教育センター5階
 電話:0193-22-4420 FAX:0193-22-4418
 E-mail:kamaishi@iwateーu.ac.jp
釜石市教育センター5階に釜石サテライトがあります

会員の佐藤富士郎さんが出迎えてくれたのにはビックリ 釜石出身の佐藤さんは、復興支援で三陸を飛び回っておられます

釜石市役所の菊池久彦氏が野田市長に代わり挨拶 市長は地権者調整会で土日無しだそうです 区画整理を含めて、復興街づくりに精力的に取り組んでいる様子でした

岩手大学釜石サテライトの及川豊史特命課長が取組の説明をして下さいました
2013年3月までに三陸復興支援センターを建設し、本格的に活動を進めるそうです

釜石サテライトは、ビッグコミックの『築地魚河岸三代目』で紹介されました そのモデルの志田智門さんもいらっしゃいました(
) 釜石サテライトについてはホームページがありますのでご覧下さい。「今週の予定」のところに、「11月11日(日) 在京盛岡広域産業人会会員現地視察」と書いてあります

佐藤富士郎さん
釜石新聞社の後川邦彦さんが取材に見えました。
右の記事は復興釜石新聞の記事を盛岡タイムスが2012年11月19日版で転載しているものです。小さくて字が見えませんが、見えるように転載する許可を申請していないので、雰囲気だけ
(^_^)で勘弁してください。

復興釜石新聞とは、東日本大震災の津波被害で休刊に追い込まれた岩手県釜石市の「岩手東海新聞」(発行部数1万4千部)の元記者、社員らが立ち上げた地域紙です。岩手東海新聞は津波で記者2人が死亡、市内にあった輪転機も海水をかぶって使用不能となり休刊しました。2011年3月25日に社員19人全員が解雇されて再開は困難となりました。
震災後、新聞の再発行を模索し続けていた元報道部課長の川向修一氏が、高校時代の同級生、野田武則市長から「市の広報紙を兼ねる形で地域紙を復活させられないか」と打診を受け、かつての同僚ら11人が集結し、合同会社釜石新聞社(代表社員 菊池征毅氏)を設立。市の緊急雇用対策事業として約3千万円を受けることが決まり、発刊の見通しが立ちました。被災を免れた住宅の一室を仮の事務所とし、当面は市の広報を請け負う形で、2011年6月11日より「復興釜石新聞」として週2回(水曜日と土曜日・4ページ刷)発行、再出発を切りました。印刷は盛岡タイムスに委託しています。


盛岡タイムスの「復興釜石新聞」の紹介 −−−> クリック
小学館・ビッグコミックに連載中の「築地魚河岸三代目」第286話:不屈の三陸(後編)に、岩手大学三陸復興推進機構釜石サテライトが登場しました。
 岩手を訪れた主人公の赤城旬太郎が釜石サテライトに立ち寄り、サテライト職員の「佐竹」「志村」(実在の職員がモデルとなっています)から岩手大学の三陸復興に関する取組について説明を受けるという内容です。
 ストーリー自体はフィクションですが、「佐竹」らが説明する岩手大学の取組内容は、すべて実際に行われている取組です。岩手大学の取組がわかりやすく説明されておりますので、ぜひご覧ください。

岩手大学復興推進機構→クリック



及川豊史特命課長の話を聞く参加者
岩手大学では、釜石市平田第3地割75-3に「三陸復興推進センター(仮称)」の建築を進めています
建物規模:R2 1,900u

主要居室:セミナー室,水産加工実験室,水槽実験室,事務室,会議室,共用研究室,機器分析室,化学実験室,レンタルラボ(1)(2)
東京海洋大学及び北里大学との3大学の連携・協力により、三陸水産業の復興と地域の持続的発展に寄与することを目的として教育・研究を進めていますが、水産加工実験室等を配置しているこのセンターが、今後の教育・研究の拠点となります
質疑がいろいろあって、出発が遅れました


釜石サテライト11時16分出発

大船渡までは小さな入江が多数ありますが、元々広い平坦地が少なく、三陸縦貫自動車道からは沿岸が遠く、ほとんど見えません

        

  12時17分 おおふなと夢商店街(大船渡市)到着

津波で大きな被害を受けた「大船渡」駅前・茶屋前地区で、付近の商店主がプレハブ店舗で営業を再開した仮設商店街。青果店、鮮魚店、日用品店、自転車店、電器店、理容室など生活に身近な店舗を中心にテナントが入居しており、市内の仮設店舗群としては最大規模。各店舗を結ぶ通路部分は板敷きになっており、ベンチ、トイレ、駐車場なども完備しています




 
大船渡夢商店街伊東修理事長の挨拶
 
伊東修理事長
伊東修理事長の挨拶を受けました・・・復興のための全国からの支援に対する感謝の言葉にあふれていました
その後、皆様、塩辛やお饅頭を買ったりしていました



伊東理事長と同級生のクドウサイクル工藤さんは、澤藤会長夫人のお兄さんと親しいので挨拶し記念写真
工藤さんの奥様はうえの魚店を手伝っていました
全般に大船渡は、駅舎も消失するなどの大きな被害があったにもかかわらず、仮設の商店街、仮設の飲食街など、随所で復興への力強い取り組みの息吹が感じられ、これは、他地区とは異なる動きと思いました
戸田公明大船渡市長は澤藤会長の高校同級生ですが、この日は大船渡に不在でした
「日曜日でもあり、小生自ら大船渡の状況を説明する機会があれば良いのですが、鹿児島県大隅半島にある肝付町(内之浦ロケット発車場)とそのまわりの自治体から銀河連邦の一員として多大な支援を受けた御礼に行っています。ということで、大船渡の状況を皆さんで見つめてください」
という主旨のメッセージが寄せられました

12時35分 大船渡夢商店街出発

        

  12時45分 大船渡おさかなセンター三陸(けせん市民市場)到着

国道45号線沿いにあり、大船渡の海の幸が勢揃いする人気スポットです。鮮魚、干物、魚介類や海藻、海産珍味から長期保存ができるものまで品揃え豊富。また、2階の旬の味処まんぼう亭でお食事ができます。
鮮度が自慢のおさかなセンター三陸は、活きの良いとれたての魚介類と新鮮さをそのままギュッと詰めた加工品や珍味も、店内狭しと取り揃えてお待ちしております。御代わりは宅急便でお届けします
 
2階のまんぼう亭で昼食、美味しかった 
おいしいおさかなランチでした 隣の団体さんの一人から、
貴方達は何故アルコール抜きなのですか?と問われました
バス旅行の団体様は、普通ランチでもビールなどを飲むの
だそうです 「夕べたくさん飲みましたから」と答えました
食事の後、1階のおさかなセンターで皆さん買い物をしておりました

おさかなセンター向かいの仮設風居酒屋

おさかなセンターの駐車場には大船渡漁協の事務所があった


海べりは更地になっているが、この辺りは海辺から急峻に立ち上がっている
海では養殖いかだが目立ち、だいぶ三陸漁業も復興しつつあるか?


        

  13時32分大船渡おさかなセンター出発

大船渡から国道45号線を上り、陸前高田市に向かいます 山道から下りに入ると、通称浜磯街道は川と並行して下ります
前方に海が見えました するとゆっくり左カーブする道と川に挟まれて大きな白いドームが8つあります バス車内からの視察です

  グランパファーム陸前高田

神奈川県の植物工場事業者…株式会社グランパ(代表取締役 阿部 隆昭氏)が、経済産業省の「地域経済産業活性化対策費補助金(先端農商工連携実用化研究事業)」の交付を受け、岩手県陸前高田市米崎町字川崎238-1に、ドーム型植物工場を建設しました。本格的に野菜生産を始めております。バスの車窓から、その威容を見ることができました。被災住民を雇用しています。年間を通して稼働する植物工場は、雇用面では有難い存在です


遠くに海面が見えます 以前は日本百景の高田松原がありました

このドーム型ハウスは太陽光利用、内部陽圧で膨らませ、回転式水耕栽培
1.8haの市有地に4億8千万円かけて建設、うち国庫補助金が3億円です
フリルレタス等を1日約3600株生産し、スーパーや流通市場、サンドイッチの日本サブウェイなどに販売します

陸前高田市街地に入りました バス車内からの視察です 何もありません あまりにも広大な面積が更地になっています
元は千昌夫が建てたキャピタルホテル1000の白い大きな建物がポツンと見えます 鉄筋コンクリートの建物が4階ぐらいまで水で抜けています
市民体育館を壊している最中 陸前高田市役所の残骸の建物が痛々しい・・・戸羽市長たちはあそこによじ登って波から身を守ったのか・・・
郵便局もスーパー・マイヤもJAも建物は残っているが中は空洞・・・ ボランティアの人たちがチラホラ 焼け石に水みたい・・・
こんな広大な土地を、地盤沈下したからかさ上げしようって言っても、そんなことが現実的なのでしょうか?

 高田松原には約7万本の松が生い茂っていましたが、約10メートルの津波にさらわれ、ほぼ壊滅しました。その跡に1本だけ、高さ27mの松が残っていました。この「奇跡の一本松」は、震災復興のシンボルとして、陸前高田市の人々に希望を与えました。この木は、塩水で根が腐ったため、既に伐採されてモニュメントの形で復元されます。2013年3月11日の震災後2年の記念日に間に合わせようとの計画です。
 もうひとつの事業として、歌人石川啄木(1886〜1912年)の没後百年記念事業実行委員会(会長・嵯峨忠雄石川啄木記念館理事長)が、啄木歌碑の復元を進めています。啄木は明治三陸大津波の4年後の1900(明治33)年7月に陸前高田市の高田松原を訪れており、同所に歌碑がありましたが津波で流失してしまいました。2月20日生まれの啄木にちなみ、2013年2月20日に新たな歌碑を建立します。事業費は150万円
      いのちなき砂のかなしさよ
        さらさらと
      握れば指のあひだより落つ
 2012年度は石川啄木没後百年にあたり、石川啄木記念館では、平成22年度から3年計画で記念企画を計画しました。初年度は歌集『一握(いちあく)の砂』発刊百年で、その忠実な復刻版を発行するとともに、記念館の企画展で歌のオブジェを展示しました。そして2年度の2011年は百回忌でした。記念館では、盛岡市のブランド推進課とともに、「石川啄木没後百年記念事業実行委員会」を設立するため、3月11日16時から会議を予定していました。その矢先の大震災で、当然会議は流れ、実行委員会の設立は、半年先まで待つこととなりました。
 関連・・・在京白堊43会のホームページ

22歳時の石川啄木

一路北に向かって国道107号線をバスはひた走ります

        

  14時54分 道の駅みやもり(遠野市):みやもりリバーサイドショッピングタウンmm1森の市場 めがね橋直売所到着〜休憩
岩手県の内陸部と沿岸部を結ぶ国道283号の中間で、旧宮守村の中心に位置しています
また、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」をイメージさせ村のシンボルとなっている「めがね橋」の上流に位置し、周囲には総合運動公園「銀河の森」や役場、郵便局等があることから、観光客だけでなく住民も利用できる環境にあります
 情報交流センター「ふれあい情報プラザ」では、市内で生産される農産物や東北一の生産量を誇るわさび等の特産品を販売するとともに、市内観光地までの経路などのご案内をいたします
また、休憩コーナーはドライバーが24時間利用することができます。お土産としては、特産であるわさびやわさび加工品(たっそべ漬、わさびみそ、わさび粕漬等)などがあります

森の市場mm1が併設されたおおきな道の駅

  15時07分 道の駅みやもり出発

めがね橋をくぐり、釜石街道を花巻方向へ西行するのではなく、右折して北上、旧釜石街道を通り、
以前の旅行で立ち寄った『道の駅紫波』を左手に見ながら通過して、乙部を過ぎ、「都南大橋東」の交差点を左折
北上川を渡り、盛岡赤十字病院を右に見て国道4号線を突っ切り、東北新幹線跨線橋を渡り、すぐ右折して
盛岡西バイパスから本宮方面をぐるりと回って盛岡駅西口へ

        

  16時23分 盛岡駅西口到着、解散
 参加者は最後のお土産のお買い物

今回解散に当り、事務方より会費が1人当り1千円余ったので返却するとの話がありましたが、
参加者の皆様から、被災地の何かの役に立てて頂くため寄付しよう、との提案があり、
皆様拍手で承認されました。有難うございました


  盛岡駅発17:20 はやて・こまち34号〜19:42東京駅着



  
今回の視察で感じたこと


在京盛岡広域産業人会会長 澤藤隆一
1. 被災地の復興は、市町村レベルに委ねられているために、それぞれに復興への考え方が違うように思われる。宮古、釜石や大船渡のように、浜から山が近いところは、被災の程度が小さい家屋の割合が多いために、助け合って復興に向かうパワーがある。しかし陸前高田や大槌のように被災者率が高い地域では、助ける人が少ない上に、余りに広大な罹災のため、何から手をつけたら良いか・・・・、という状態である。沈下した土地のかさ上げに要する土砂量は膨大過ぎるし、この115年で3回も大津波が来た事から考えて、避けられないのなら、減災と避難に重点を置くしかないのでは?
2. 津波の被災地は、「復旧」させるわけには行かないので、地権者との区割りを確定させ、代替地への集団移転を図る必要がある。しかし、地権者が死亡したりして、その調整に手間取っている。ガレキの山もまだあちこちに山積みされ、処理するには随分時間がかかりそうだ
3. 土木工事は土日視察のためか、それほど多くない。道路補修工事は行われていた。また三陸縦貫高速道路や、北上山地を通り内陸と沿岸を横断する道路などは、なるべく真っ直ぐ作るためのトンネルと架橋工事が急ピッチで行われ、復興のための足確保が進んでいる。従来は渓谷に沿ってクネクネと作られたために時間が長くかかったが、この震災を機に内陸と沿岸はぐっと近くなりそう。盛岡⇔宮古、山田、大槌、花巻⇔釜石、北上⇔大船渡、奥州・一関⇔陸前高田
4. 個人住宅は土台に載っているだけなので、津波で浮いて流されたが、鉄筋コンクリートの土台のしっかりした建物は、下位階は骨だけになっても、しっかり残っている。すなわち、水際に近いところほど、鉄筋コンクリートの5階建て以上の建物なら、命は助かる。たろう観光ホテルが好例だ。地下シェルターと併せて、考慮すべき。津波高さ想定地域には個人住宅は建てさせず、仕事場として津波が来ても避難できる建物にする。基本的に漁業関係に絞るべきだ。被災した低地に店舗はドンドン建っている。しかし建物は低い。もしまたあの津波が来たら、どう逃げるのだろう?
5. 土木関係の計画作りのできる技術者が不足している。一祐会建設系科会東京支部「きたかみ会」のような「応援隊」活動は貴重である。人口の都市集中の結果、土木技術者も地方では不足している
6. 被災地ではボランティアへの要望は減っていないが、ボランティア活動は萎んでいる。今後は国家的なお金の投入により、業務として復興を進めるべき
7. 各地で被災した方々の声を聞きましたが、皆さんに共通していたのが、「全国の皆様から励ましと支援を頂いて、本当に有難かった、皆様のお蔭で此処まで来れた、本当に有難うございました」という感謝の言葉でした。一瞬にして家財や近親者を失うような絶望的な体験をした人たち・・・、人は失って得るものがあるのだと気付かされました。私たちは普段些細なことで文句を言ったり、不平不満を言っておりますが、被災者の方々の心に触れれば、ひとのお蔭の大切さ、有難さが感じられて、感謝の心、有難うの言葉が自然に出てくるようになるのではないでしょうか。絆という言葉がこの大震災で改めて注目されましたが、今回の旅行でも何人か知り合いに会えました。大切にして行きたい言葉です、ありがとう



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在京盛岡広域産業人会に入会していない人も、入会は随時受け付けています。
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